MEMBER BLOG

幸せの数

こんにちわ。マスタービーツのジョンラモーン入江です。

 

ちょっと思うことがあったので、このブログに、「想いの記録」として書きます。個人的な事を書く場所がないので。。

 

興味が無い方はスルーで。(ビートルズ関連ではありません。)

 

 

 

2017年5月24日(水)、僕が昔やっていたBMX(自転車)競技の後輩が35歳という若さで他界した。

 

肝臓がんだった。

 

この男に最初に合ったのは、彼がまだ中学生だった。僕も関わっていたBMXショップに、リーゼントのヤンキー二人が現れ、「自転車下さい。」とw(敬語無し。)

 

一人は、おしゃべりな奴。もう一人は鋭い目をしていた奴、これが、「坂田精二」という男だった。

 

それから数年、BMX業界を離れていたのだが、仕事のきっかけでまた業界に戻ることになり、「坂田精二」に再会した。

 

再会したときには、「坂田精二」は、神業を繰り出すBMXライダーになっていた。おしゃべりな相方は、もっと「おしゃべり」が神業になっていたw

 

そして、「坂田精二」は、初の世界戦コンテストに挑み、世界4位を獲得した。

 

それから、「倉谷太郎」(太郎塾バンドボーカル)が結成したプロBMXショーチーム「QEST -クエスト-」と、仕事として各地の学園祭や地方のお祭り等のイベント周りを始めた。もちろん、プロBMXショーチーム「QEST -クエスト-」には、”セクシャルバイオレットパープル”こと、「坂田精二」もメンバーだった。

 

※プロBMXショーチーム「QEST -クエスト-」

 

 

プロBMXショーチーム「QEST -クエスト-」のショーは、老若男女、場所を問わず、どこに行っても盛り上がった。最後のトリを務めるのが、「坂田精二」のどこまでも続く「サカタスピン」だった。

 

 

そしてイベント終了後は、イケ面な彼の周りに女の子たちが集まった。

 

※学園祭でのショット(左から2番目が坂田精二)。何をしているのかは謎w

 

そして、運命的な女性と出会い、結婚した。話によれば、、嫁さんの方からの猛アタックだったらしい。

 

※坂田嫁(後ろのサングラス大根ちゃんw)

 

その後、第一子が生まれ、世界的に有名なBMXライダー「坂田精二」は、事実上引退した。(競技ライダーとしての引退。)

 

それからは、またプロのショーライダーとして、いろいろなイベントに出演していた。

 

そして、8月には第二子が生まれ、病気になる前、最後に会ったのが、2016年11月頃だった。

 

イベントには、家族揃って来ており、元気にBMXショーをこなしていた。

 

 

久しぶりに会って、話をしたが、相変わらず「寡黙な男」だった。いろいろと問いかけても「はい。」しか言わないw

 

ただ、僕が「もうBMXはマジでやらんと?」と聞いたことには、「言葉」だけでなく、「文章」で返事をしてきた。

 

「家族の為に生きるっす。」

 

ヤンキー中学生だった男が、「漢 -おとこ-」の返事をしてきた。僕はその返事に感動して、逆に「そうか。」としか言えなかった。

 

 

2017年4月初旬、「坂田精二」の永遠の相棒、おしゃべり野郎「堺裕次郎」から電話があった。この男も家族を持ち、仕事の都合で東京に住んでいる。イベントを盛り上げるMCは、世界1位の男になった。

 

久しぶりの着信で、嬉しかったのだが、電話は、「坂田が癌で入院していて、癌はステージ4だそうです。」という内容だった。。。

 

「え!??この前、会ったばっかりやん?」と返すと、「3月末に体調不良で病院に行ったら、すでに肝臓がんのステージ4だった。」と。。。

 

そして、すぐに病院に行くと、すでに「抗がん剤治療」が始まっており、痩せ細った坂田に再会した。

 

いざ、直面すると何も言えなかった。抗がん剤治療の副作用でつらそうな坂田を見て、「がんばれ。」「絶対治る。」とか他人事な言葉は掛けれなかった。

 

正直に、「ごめん。掛ける言葉が一つも無い。」と言うと、坂田は、「会いにきれくれただけで嬉しいっす。」と力無い小さな声で返事をした。

 

それから何度かお見舞に行ったのだが、行く度に衰えていくのが分かった。

 

そして、2017年5月24日(水)、「坂田精二」は、この世を去った。肝臓がんが発見されてから、たったの2ヶ月だった。

 

 

2017年5月25日(木)深夜に、お通夜に行くことができた。

 

そこには、坂田の思いでの写真がたくさん飾られていた。

 

学園祭でのあの写真も置いてあった。

 

遅い時間だったにも関わらず、イベントを一緒に作った後輩達がまだ残っていた。学生だった後輩達も大人になり、スタッフ一同の連名でお花を出していた。

 

その後輩達に案内され、坂田の遺影と対面した。

 

お見舞に行ったときよりも、なぜか元気そうで安らかな顔だった。これは当人だけしか分からないが、治療は相当つらかったんだろうと。。。。

 

 

僕は宇宙とか、オカルトな話が好きだ。

 

前にこうゆう話を聞いたことがある。

 

「人はみな平等に幸せを感じる量を100持っている。それを使いきったときに死を迎える。幸せの感じ方は人それぞれによって違うが、死ぬ時はみな100の幸せを使い切っている。」

 

この話は納得できる。というか、このように考えれば、坂田も35歳という若さだったが、「100の幸せを使い切った」に違いないと思える。そう思うしかない。

 

現に去年の11月に会った坂田は、本当に幸せそうだった。

 

あの笑顔は一生忘れません。

 

さようなら。

 

元MIXJAMER  入江 啓太

 

 

2+

SOCIAL NETWORK

SUPPORTED BY

FRIENDS

UP